四月の法話会
「生活と真宗」 加藤正現 師
親鸞聖人が誕生して850年、浄土真宗が開かれて800年となる年を迎えることから東本願寺では法要が勤まります。
法要テーマ
〜南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう〜
法要は私たちにとってどんな意味があるのか考えていかなければなりません。
お念仏は何のためにするのでしょう?
利用者様:「仏様に感謝する」
浄土真宗のご本尊は阿弥陀如来。全ての人を救うにはどうしたらよいか 長い期間考えられています。
阿弥陀如来は 南無阿弥陀仏 という名号を私たちに与えてくださいました。
「 あなたのこのことを救いたいから、私のところに早く来なさいよ 」という意味。
そんな風に問いかけられたら皆さん、どうですか?
「 はい 、わかりました 」と返事をするでしょう。
私たちの返事が 、実は南無阿弥陀仏。それをお念仏と言います。
よくお坊さんは 南無阿弥陀仏を口に出してくださいと言います。
口に出して自分の耳で聞く、口に出せば 阿弥陀如来に届きます。
南無阿弥陀仏はそういう意味があるんだということ。
南無= 私にすがりなさい 阿弥陀仏=お名前
阿弥陀仏にすがりなさい ということ。
ところが、 素直に返事できないのが私たち人間…。
実は簡単なことなのに素直に返事できないのは煩悩があるから、煩悩が邪魔をしている。
人間がいくら努力しても消すことができない煩悩。
そんな私たちの姿を 親鸞聖人は正信偈の中で「邪見 憍慢 悪衆生」と言っています。
なかなか気づけない。ところが、 阿弥陀如来が南無阿弥陀仏の名号を私たちに与えてくださったことで 、自分で自分のことに気づくことができる。
仏法の教えを鏡として自分の姿がはっきりとわかってくる 。自分がどんな人間か …そこに気づくことがとても大事だということ。
三帰依文「 人身 受け難し 今已に受く 」お釈迦様の言葉。
私たちがこうして人として生まれ、ここ何十年と生き、今ウェリナにいることは当たり前のことではありません、奇跡ですよ。
「 仏法聞き難し 」仏法を聞くのは難しい?仏法が難しいからではない 。仏法を聞こうとする気持ちが私たちにないから聞き難いのです。
自分の本当の姿に気づくことで、仏法を聞きたいと思える気持ちになれます。
今、すでに聞いているこの時、この瞬間をどうぞ大事に。
自分という存在に感謝しながら 、自分に関わっている全ての方に支えられていることに感謝する。
いろんな方の支えがあって 毎日 ウェリナで生活していける。
その感謝の気持ちを教えてくれるのが 、阿弥陀如来が与えてくださったお念仏だということですよ。
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最後は恩徳讃です。
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唱えるが故に毎日の生活が意義深いものになりそうですね。
本日は4年ぶりの外部講師によるお話でした。
ありがとうございました。
住宅型有料老人ホーム ウェリナ 中田