2022.10.23
10月法話会 白骨のお文
イベント行事
私が先に逝くかもしれないし
他の誰かが先に逝くかもしれません。
今日終わる命なのか、
それとも明日なのか、
そういうことも分かりません。
大切な人が先に逝ってしまう日が来れば、
私が先に旅立つ日も来ます。
草花の雫や葉先の露が消えてなくなるよりも、
それ以上に人間の生涯は儚いものです。
「白骨のお文」現代語訳一部抜粋
![](https://kotobuki-care.com/wp-content/uploads/2022/10/img_8933-1024x768.jpg)
通夜、葬儀がおわり、
火葬、収骨がおわり、
その後の
還骨勤行の後に読まれるのがふさわしいとされています。
自分が愛する人、愛してくれた人、自分を叱ってくれた人の骨を拾った時にしか腑に落ちないのだと…。
![](https://kotobuki-care.com/wp-content/uploads/2022/10/img_8941-768x1024.jpg)
その命で、命懸けで
残された私たちに、死を、生きると言うこと突きつけてくれている。
悲しくて無常を感じる。
しかし、悲しみにとどめをさすのではなく
むしろその逆、
愛する人を失った私たちに、
叱咤激励
生きる力を与えてくださっているのです。
![](https://kotobuki-care.com/wp-content/uploads/2022/10/img_8939-768x1024.jpg)
私たちは、今を生きている。
言葉にすると大げさなような気がするのは、
明日が当たり前に来て、いつまでも生きていられると思ってしまうから。
だけど、人生は儚い。
いつ死んでもおかしくない人生を生きているのに、つい忘れてしまいます。
生きている「今」に感謝し、この「今」を大切に
どのように生き、歩んでいくのか
を改めて考える、素晴らしいお話でした。
![](https://kotobuki-care.com/wp-content/uploads/2022/10/img_8936-768x1024.jpg)
このお話は次回法話会の
「後生の一大事」と続きます。
![](https://kotobuki-care.com/wp-content/uploads/2022/10/img_8932-1024x768.jpg)
高科修先生のお話を、皆さまと一緒に振り返り致しました。
日野さん、素敵なお話をありがとうございました✨
ウェリナ 森下