八月 法話会
8月4日開催 法話会
日野介護士と皆様とのお勤めからです。
本日は講師をお招きいたしました。
日野暁洋さんです。よろしくお願いいたします。
世の中の物事には、それわかっとる、それ知っとる、1+1=2やとすぐわかることと…
長い間そのことに触れながら見つめながらおるおかげで、こういうことやったんかと後からわかることがあります。
こんなことがあったんがや…
小松駅の階段でつまずいて、あおのけてんばこいて、救急車で運ばれ大腿骨骨折してしもうた、おばあちゃんがおるんです。
病院で寝とった時に、心配して駆けつけた息子夫婦に、こないがにして怒られたと…
「そんなところで、もたもた歩いとるさかい、転んで骨折せにかんめにあうがや、ばっちょ!」
ほやけど、おばあちゃんは、すま〜した顔して…
「こうなるがになっとったんがや。」
「ケガするがになっとったんがや。」と言うた。
私らの、これしたからダメやとか…こうしたからこうなったのとちごうね。
そのおばあちゃんは手を合わせる方やったさかい、聞いとるうちに聞こえてきて、見とるうちに見えてきとる。
世の中はうまいこといかんがになっとるんがや。
えぇこともあれば、悪いこともある…。
勝手にえぇこと悪いことと言っとるだけで、仏様の目からすれば、えぇことでも悪いことでもないんです。
天気予報でも、良い天気、悪い天気とこっちが勝手に言うとるだけ…雨のおかげで植物が育つさかい…。
えぇことと悪いことを親鸞が、どう言うたか…何が善やら何が悪やらわかりません。
物事のえぇことと悪いこと逆に言うならば、ケガしたおかげで生きていることの信用を感じることもある。
また命を終えることを見つめた結果、生きていることが怖いということもある。
何千年も前、お釈迦様の時から今ここに仏様の南無阿弥陀仏が届く事はすごいことなんです。
あの時は触れとっただけで何も思わんかったけど、歳をとっていくうちにそういうことなんかと…他の人が頷けんでも私が頷ける時が来るんです。
私が頷ける時、そうするためには毎日仏様の方を向く私がいなければそのことを感知することができないんです。
自分の力だけで生きている人はいないんですよ。みんな誰かのおかげや、また支えられ命ぜられておいでる人ばっかりなんです。
そういうことを仏教徒ではお慈悲と言う。知らん顔しとっても仏様のお慈悲がかかっとるんがや。
仏教というのはお参りしたり、法事をしたり家族の人が亡くなったらお葬式をあげたりします。
それは豊かさなんです。仏仕事がこうやってみんなして仏の教えてきたことを耳にしたりすることは豊かさなんです。
その後が変わってくるから…。
はじめに小松駅であおのけてんばこいた、おばあちゃんの話をしましたが私がもしそうなったらどう答えるか?
何かのせいと言うでしょうか…?
みなさんもなんと言うでしょうか?
今日は御坊さんが来て、あんな話をしとったけど私はこうなどお話ししてみてください。
本日はこれで、、、と終わろうとされとていた時…
「なんまんだぶつだ!」と利用者様の声。
南無阿弥陀仏と出ん人が多いがやわ。
南無阿弥陀仏は仏様を意味する言葉。
念仏の漢字は、今・心・に仏。
向こう側から私の心に響いて仏様が私の口を借りて「なんまんだぶつ」と言うてるんです。
私が念仏じゃなしに…ただ念仏なんです…。私の頭の中で考えて、枠すらも超えた広い広い世界を…。
南無阿弥陀仏という一言が出るお話ができてとても光栄です。
(終わろうと思った時になんまんだぶつと聞こえて…びっくりしたと話された日野暁洋さんでした。)
以上8月の法話会でした。本日は本当にありがとうございました。
最後は中介護士と皆様との恩徳讃です。
小松弁で親しみのある法話会でした。
来月はお休みをいただきまして、次回は10月開催です。お楽しみに!
Welina 中田