🍀法話会🍀
皆様こんにちは✨
今月の法話会を御紹介したいと思います🍀
今月はまだコロナの影響が続いており、外部講師がまだ望めないという事で、真宗大谷派のホームページから出ている、いま、あなたに届けたい法話の中から、「ご先祖を敬うこころ」保木悦雄師のお話しを聴聞させていただきました。
お話しの内容は、7年前に100歳で亡くなられた師のおばあちゃんのお話しです。
そのおばあちゃんは、気丈夫で頑固なおばあちゃんでした。師のお父様は兼職をしていたので、お寺の事はすべておばあちゃんから教わったそうです。おばあちゃんの晩年は認知症を患い、家族のお手伝いが必要な状態でした。その役を引き受けていたのが、定年退職をした師のお父様でした。
ある時おばあちゃんが玄関から外に出ようとしました。お父様がおばあちゃんに何処へ行くのか尋ねると、おばあちゃんは草むしりに行くというのでした。お父様はすかさず、「草むしりなんかせんでええ、この前も外に出て転んで怪我したやろー」とおばあちゃんを叱るのでした。
またある時、お寺にお客様がきた時のことでした。おばあちゃんがお茶を入れようとガスをつけてお湯を沸かし始めました。するとお父様が「お茶は沸かさんでええ、この前もガスを消し忘れていたやろー」とまたおばあちゃんを叱るのでした。
そんなある日、その日は敬老の日でした。お父様が敬老の日ということで、親孝行をしようと思い、おばあちゃんに尋ねます。「おふくろ、今日は敬老の日や、何か欲しいものはないか?なんでも買ってあげるぞ」と。するとおばあちゃんから思いがけない言葉が返ってきました。
「わたしゃ、なーんも欲しいもんはない。ただ一つだけお願いがある、この私を叱らんといてくれんか。」
この言葉は、おばあちゃんの本音であり、命の叫び声でした。草むしりはするな、お茶をわかすなと、叱られ、押さえつけられ、我慢して辛い思いをしてきたのです。
草むしりやお茶沸かしは、おばあちゃんが毎日してきた仕事であり、生活そのものでした。それをするなと言われたら、自分の生き甲斐が奪われ、自分の居場所がなくなり生きていけません。
おばあちゃんの居場所を無くしていたのは、自分達家族だったという事に、はじめて気づかされたのでした。そのおばあちゃんの言葉は、私は今ここに生きているという事実を丸ごと認めて欲しいという命の叫び声でした。その叫び声が、如来からの呼びかけと重なって聞こえたそうです。
親鸞聖人の和讃の中に、
十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなわし
摂取して捨てざれば 阿弥陀となずけたてまつる
仏様の世界は誰一人として見離さない、選ばず、嫌わず、見捨てずの世界ですよと言う慈悲のお心がしめされています。そのお心を感じた時、その仏様の慈悲に気づかないでいる愚かな凡夫の姿を知らされ、申し訳なかったという、慚愧の念が起った、という事でした。
そして、「おばあちゃん、ごめんね」と謝ったそうです。
慚愧とは、深く自分自身を恥じる心であり、人間の心を回復していく大切な心でもあります。
亡き人を案ずる私が
亡き人から案じられている
案ずるとは心配するという事です。亡き人を心配する私が、亡き人から心配されている。ご先祖を偲ぶ心の奥底に、亡き人から深い願いがかけられている。
生老病死という生きる事実を、丸ごと引き受けて、精一杯生きよと教えてくださっているんですよ、という保木悦雄師のお話しでした。
ご先祖を敬う心、人を敬うこころ、普段の自分はどのように向き合っているのか、改めて振り返る時間となりました。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
ウェリナ 日野